ヨガの世界において、女性指導者として世界的に最も有名なのがインドラ・デヴィ (Indra Devi)です。ロシア出身の元女優で、ヨガがあまり知られていなかった時代に単身インドに渡り、ヨガ教師に。アメリカや中国にヨガ教室をつくり、ハリウッドの映画女優らにヨガを広める先駆けとなりました。高齢になってからも世界各地を飛び回り、2002年に102歳で亡くなるまでヨガの普及のために力を尽くしました。「現代ヨガの母」と呼ぶ人もいます。
インドと出会うまで
インドラ・デヴィ(本名:ユージニア・ピーターソン/Eugenia Peterson)は1899年3月、ロシア帝国の支配下にあったラトビアのリガに生まれました。 父親は銀行員、母親はロシア帝国の貴族。経済的には恵まれた家でしたが、生まれてすぐに両親が別居し、父親をほとんど知らずに育ったといいます。
また、母親もデヴィが生まれて間もなく女優になったため、家を空けることが多く、幼少期は主に祖父母に育てられたようです。
15歳でインドに憧れる
15歳のとき、知人の家の書斎で、インドに関する本に遭遇します。インド出身のノーベル文学賞作家タゴールの詩や、インドの宗教に関する本でした。 それらの本に何故かすっかり魅了され、インド文化に強い憧れを抱きます。
女優に
その後、ロシア社会主義革命により、家族は財産を没収され、ドイツへと逃れます。 貴族の子女として大事に育てられたデヴィも経済的に自立すべく、母親の道を追って舞台女優やダンサーの仕事に就きました。
26歳で瞑想を体験
27歳になった1926年、人生の転機が訪れます。 書店で目にとまったチラシがきっかけでした。オランダで開催されるインド文化関連の研修イベントの案内で、 当時欧州の富裕層の間でひそかに流行っていた「神智学(しんちがく)」の関係者が企画したものでした。
哲学者クリシュナムルティ
15歳のときに感じたインドへの強烈な憧れを忘れていなかったデヴィは運命的なものを感じ、研修に参加。 そこで、インド出身の哲学者ジッドゥ・クリシュナムルティと出会い、瞑想などの指導を受けます。これが、ヨガ修行への第一歩となりました。
単身インドへ
インド式の心身トレーニングにすっかり魅了されたデヴィは、1927年11月、いきなり単身でインド行きの船に乗り込みます。 インド東部のチェンナイで開催される神智学のイベントに参加するためでした。 現地ではインドの生活にすっかり虜になります。1928年2月にいったん帰国するものの、心は「インドに移住したい」という情熱に支配されていました。
婚約を破棄
当時、デヴィは、ドイツ人の銀行員と婚約をしていました。 しかし、インド移住のためにあっさり別れます。そのとき30歳。 母親も猛反対しましたが、もはや気持ちは微動だにしませんでした。
財産も売却
蓄えていた宝石などの財産をすべて売り払い、1929年10月、再びインドへと出発。 仕事や生活のアテもありませんでしたが、運命を信じ、迷うことなく祖国を離れたといいます。